スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| スポンサー広告 | TOP▲ | 【--/--/-- --:--】 web拍手 by FC2
2002年、UK雑誌『Gold』のインタビュー。Part.1
雑誌『GOLD』マイケル・ジャクソン インタビュー2002年12月のUKの女性誌『Gold』に掲載されたインタビュー。

2002年は、ベルリンのホテルで「うっかりバルコニー」の1件があり、世界中のプレスが常軌を逸した激烈なマイケル叩きを続けていました。そういう時期ということもあり、「タブロイドのバカバカ」というマイケルの言い方も、いつもよりちょっとだけ激しいです。

なおかつ、この時期はビジネスや映画の夢に燃えていたマイケル、残念ながら後々実現しなかった話が多いのですが、プロジェクトについてそこそこ具体的な話をしていて興味深いです。
   

Part.1

──(インタビューアー: マグダレーナ『ゴールド・ガール』)ミュージシャン、エンターテイナー、企業家、あなたがご自身を一番そうと見なしているのは?

Michael Jackson: おそらくそのすべて、なぜなら僕は人を楽しませるのが大好きだしこれからもずっと好きだから。リズムの奴隷になるのが好きなんだ。踊ることはサウンドの解釈であり、オーケストラの付属品だから。つまり、君は音になる、ベースになる、耳で聴く何にでもなる、そしてそれを身体で表現する。でも僕は、将来のことを考えないようなものはすべて巻き込まれないようにしているよ。過去にはすごく多くの素晴らしいエンターテイナーたちがはまってしまって、孤独に悲しく破産で終わっている。僕はいつも自分に言い聞かせてる、僕は絶対にそんな道はごめんだ、僕はこれからビジネス・サイドを必死に学んでいこうとしているんだ、自分自身を支え、自分の資金を投資し、蓄えることをね。明日がどうなるか誰に分かる?財政的に防衛を望むなら、自分でしっかりサポートすることだ。

──偉大なエンターテイナーとして記憶されていたい?

Michael: 僕は映画が大好きだし、アートが大好き──それに建築だってエンターテイナーさ、ローラーコースターを建てた人はエンターテイナーだよ。彼はスロープを作るべき位置や上がっていく予測を分かっていて・・・人を「オーマイガッ!」とさせるんだ、降りてくる前のてっぺんの所でね。ショーやダンスの構成もそれとまったく同じことさ。

──世界一知られているスターの一人であることが重荷になったことは?

Michael: 世界のどこにも、僕が実際にプライバシーを持てる場所はないんだ。一番傷つくことは、自分のプライバシーを取り上げられてしまうという事実。金魚鉢のなかで生きる、妙な言い方だけど、でもそれが本当なんだ。僕は変装して・・・人々はみんな知っていて、とても難しい、とても難しいよ。

──どんな変装を?

Michael: 太っちょスーツや、出っ歯、メガネ、アフロヘア、義肢、化粧とか何でも。ただ観客席に座って、ショーの観客が体験するであろう体験の仕方でそれを味わうこと──彼らが感じることを僕も感じたいんだ。

──見つかってしまう?

Michael: 時々は、イエス。最初のうちは、ノー。しばらくするとみんな僕のことをよく見始める。僕は大げさに変装しているから、彼らはメガネ越しによく見始めるんだ・・・女の子たちはとても賢いよね。女の子をだますよりも、男をだます方が早い。女性はすぐに見破るんだ。身体の動きとか、歩き方とか、仕草を知っている。「彼の手の動きを見て」とか、「彼の歩き方を見て」となるのを僕は聞いて、僕は「オゥ、ノー」って思うのさ。

──もしもあなたがロンドンで1日、透明人間になれたら、何をしますか?

マイケル・ジャクソン ブランケットMichael: オゥ、そんな。誰をひっぱたいてやりたいかな?そうだねぇ(笑)・・・タブロイドのパパラッチの一人を見つけて、尻を蹴ってやりたいと思うよ、ムーンウォーク・スタイルでね。彼らが乗り回している小さなスクーターを1台、ひっくり返してやりたいとホントに思う。ホントに、彼らの手から、あのカメラを叩き落してやりたいよ。すごく迷惑なんだ。まず彼らの所に行くね、うん。気が変になりそうだよ。彼らから逃れることはできないんだ。恐ろしい。

──プロとして最もあなたをインスパイアしてきたのは誰? そして最も通じる人は?

Michael: おそらくウォルト・ディズニーだね。なぜかというと、僕は幼い頃、大人の世界で育ってきた。僕はステージの上で育った。ナイトクラブで育ってきた。7歳か8歳の時、僕はナイトクラブにいたんだ。僕はストリップ嬢が服を全部脱ぐのを見てた。乱闘騒ぎも見た。人々がお互いに物を投げつけ合うのを見た。僕は大人たちが豚みたいに振舞うのを見たんだ。だから今日に至るまで僕はクラブが嫌い。僕はクラブに行くのは好きじゃない──もうそういうことはさんざんやってきた。だから僕は今、当時やれなかったことの埋め合わせをしてるんだ。僕の家に来れば、僕が持ってる乗り物や映画館や動物たちが見られるよ。動物が大好きなんだ──ゾウやキリンやライオンやトラやクマ、あらゆる種類のヘビ。小さい頃にやらなかったそういうワンダフルなことすべてを今の僕がやるのは、そういったことが我が家にはなかったからなんだ。うちにはクリスマスはなかった。お泊り会もなかった。学校もなかった、僕たちはツアー中、プライヴェート・スクールに行ったんだ。僕は公立学校には行かなかった。2週間、行こうとしたんだけど、うまくいかなかったんだ。ものすごく難しい。子どもセレブリティが成長するのは難しいことなんだ。子役スターから大人のスターへ移行できるのはごく少数だ。ものすごく難しい。僕はシャーリー・テンプルに通じるものがあるよ。僕はサンフランシスコで彼女に会って、彼女とテーブルで向き合ってひどく泣いてしまった。彼女は「どうしたの、マイケル?」 僕は「あなたが大好きです。あなたのそばにもっといさせて下さい」と言ったよ。彼女は、「あなたもお仲間なのね、そうでしょう?」 僕は「そうです、僕もです」。誰か別の人が「どういう意味?」と言ったけど、彼女は「マイケルには私の言ってることが分かるの」。そして僕には彼女の言っていることが正確に分かっていたんだ──子どもスターとして過ごしてきて、大人として脱皮を成功させて名声を得るのは、ものすごく難しい。人々は子どもスターが大きくなるのを望まない。永遠に幼いままでいてほしいものなんだ。その後はもう要らなくなる。とてもハードだ。

──テーマパークへのあなたの興味についてもっと聞かせて。

Michael: テーマパークで僕が好きなのは──僕はその分野に関してはとても良い展望を持ってるんだ、というのは、僕は何度も世界を旅してきたから──シンプルに家族みんなで一緒になって楽しんでいる人々を見るのが好きなんだ。それは本当に彼らに親密さをもたらす。僕は遊びに行くと同時に、学びにも行っているんだ。僕は通常の時間帯に行くことはできないから、閉園後に行くんだけどね。ゴーストタウンみたいな感じだよ。

──あなたがラスベガスでのテーマパークの構想を持っていると聞いたんですが。

Michael: 僕はラスベガスでたくさんのプロジェクトをやってきて、自分なりにこれをやってきたと考えているのは、そこで対象人口を広げたということなんだ。というのは、僕が小さな子どもだった時──8歳にはならない時分──僕の兄弟たちと僕はラスベガスに行ったものさ、で、当時、子どもたちはカジノ・フロアを歩くことも許されなかった。それで、僕たちは部屋で起きていて退屈で、他のみんながギャンブルをやっている間、何もすることがなかった。当時、ベガスには子どもたち向けの場所が1ヶ所だけあって、その名は「サーカス・サーカス」。そこはピエロがいるテーマパーク・ホテルで、空中ブランコとか、ミニ一輪車に乗るチンパンジーがいた。大きくなって僕たちはベガスでたくさん演奏した──そこでたくさん、たくさんパフォームしたよ──それで、僕はそのことを考えて、こう思った、「ここには子どもたちのためのものが何もないなんて不公平だ」、それで、僕はあるホテルのオーナーのために2,3の構想を練り始めたんだ。今現在、それはファミリー向けのヴァケーション王国という感じだよ、本当にね。

──あなたのお気に入りの人は誰?

Michael: 僕が愛する人たちは、地球と人類への喜びと幸せの元となるような人、光を持った人々なんだ──ウォルト・ディズニーから、ガンジー、エジソン、マーティン・ルーサー・キングまで。彼らは光を持っていて、本当に子どもたちに心を配り、一緒に家族を養い、そして愛を持った人たちだ。僕が自分の音楽や歌の中で言おうとしているのはそういったことなんだ。もしもあなたが僕のコンサート、僕のショーに1度来れば、20万人の人たちが揺れながらキャンドルを持って、「私たちは世界を癒したい」「あなたを愛してる」と言うのが見られるよ。僕は世界中でそれを目にしてきたんだ、ロシアからドイツ、ポーランド、アフリカ、アメリカまでね。僕たちはみんな同じだ。人々はショーの同じ場所で泣くし、ショーの同じ場所で怒り、同じ場所で哀愁に浸るんだ。

──フレッド・アステアとは友人だった?

Michael: イエス。フレッド・アステアはご近所さんだったんだ。僕は毎日彼に会いに行ったものさ、僕が小さなスクーターに乗っていた頃にね。彼はいつも僕に言った、僕が小さな子どもだった時彼はいつも言ったものさ、「君は大スターになるぞ」とね。僕が驚異的なエンターテイナーに、グレイトなダンサーになるという彼の考えを、僕に言っていた。それにいつもこう言った、「君は最高だよ」、で僕が「ノー、あなたが最高です」と言ったものさ。僕は初めてムーンウォークした時のことを覚えてる。フレッドがうちに電話してきた。彼は電話で叫んで騒いでたよ。彼は今まで見た中で最高のパフォーマンスだったと言ってくれた。僕は、「オゥ、よしてよ」。彼は「マイケル、みんな腰を抜かしたよ。きみはムチャクチャなムーヴァーだ。ムチャクチャなダンサーだ」。僕は、「えぇと、あなたにそう言ってもらえて、僕はもうどんな賞も必要ありません」と言った。というのは、僕はあのパフォーマンスでエミー賞にノミネートされていたけど授賞にはならなかった、でも僕にとっては関係なかったんだ、フレッド・アステアが僕のパフォーマンスを大好きと言ってくれたんだから。僕に必要な賞はそれだけだったんだ。

Part.2 に続く 
   
| インタビュー | コメント(0) | TOP▲ | 【2002/12/20 23:55】 web拍手 by FC2
2002年、クリスマス・メッセージ。 | ホーム | 2002年、UK雑誌『Gold』のインタビュー。Part.2
コメント
コメントの投稿









上の項目は任意。URLとメールは当ブログ上に表示されず、管理人にのみ通知されます。






 後で自分のコメントを編集削除する際に必要なパスです。


 秘密のメッセージにする(チェックを入れると非公開コメントとして届きます)。

トラックバック
トラックバックURL : 

| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。